2010年第12回学術大会・特別企画1

熊澤 孝朗先生インタビュー(平成22年春)

話し手:熊澤 孝朗(名古屋大学名誉教授)
聞き手:守屋 徹(守屋カイロプラクティック・オフィス)

守屋:お忙しいところ、お時間をいただきまして本当に有難うございます。
私どもの「日本カイロプラクティック徒手医学会」は、2000年に第1回学術大会を開催致しまして、以後、毎年秋に学術大会を開催いたしております。大会ごとにメインテーマを決めて、テーマに関連する専門の研究者の先生方をお招きして特別講演をいただいているわけですが、今年は第12回の学術大会を福岡市で開催することになりました。
実は、一昨年の第10回学術大会のメインテーマは「ケアの本質」でしたが、この時のワークショップで、私が「痛みのケアを考える」と題してお話しました。その時に、大変僭越ながら熊澤先生の「痛み学」についてご紹介をさせていただいたわけです。それがひとつのきっかけになりまして、今年の実行委員会は痛みをメインテーマに取り上げることになりました。それで、テーマも「痛みを考える―最新の感覚受容器に基づいて―」としまして、ぜひ熊澤先生をお招きしたいと考えたわけです。残念ながら、諸事情が折り合わず叶いませんでしたが、熊澤先生からは吉村恵先生と住谷昌彦先生を御紹介いただきまして、実行委員会一同、大変感謝いたしているわけです。これを機会に、熊澤先生からもお話をお伺いして秋の学会に向けてキャンペーンを行おう、というわけで科学新聞社さんからもご協力をいただくことになったわけです。
私が「痛み学」の用語を初めて目にした時に、痛みを科学せよという熊澤先生のメッセージが込められているように感じたのを鮮明に覚えています。何しろそれまでは、痛みは何かの疾患や損傷に付随する症状という認識しか持ち合わせていませんでしたので、私にはとても強いインパクトがあった言葉でした。実際、先生が「痛み学」という言葉に込められた先生なりの思いなどが当時あったのでしょうか?

守屋

熊澤:「痛み」という言葉を使ったのは、「疼痛」という言葉が堅くてあまりよろしくないと感じていたからです。普通は「痛み」という言葉を使うのに、なぜ「疼痛」なのかと。「うずくいたみ」なのかと。南江堂から刊行した「痛み用語集」の中で、「Pain」に「痛み」という言葉を当てました。日本疼痛学会と日本ペインクリニック学会との協力体制を作ってその用語集を作り上げたわけですが、その中で「multidisciplinary」の訳として「学際的」としたのも私です。「痛み学」という言葉については、「痛み」というのはサイエンスでなくてはならないという強い思いから決めたわけです。サイエンスというのは難しくしちゃいかんということですね。漢字で難しくするのは避けたいというのがありました。サイエンスだから分かりやすくしなくちゃいかん、というのが私の主張です。それ以上の哲学的な意味ということはありません。

守屋

守屋:最初に「痛み学」という言葉をお使いになったのは2000年以降になりますか?

熊澤:ですね。私は2002年にファイザーの寄付講座として「痛み学講座」を開講したのですが、その時にあれこれと考えて造語しました。
守屋:医科大学には、他に「痛み学」単体の講座はありますか?
熊澤:ないですね。他の国にもないと思います。寄付講座を始めるときに、どういう英語名を付けるかということで「Algesiology」という用語にしました。その年だったか、はっきりしませんが、国際疼痛学会がありまして、その時に言葉に厳密な外国人にいろいろ尋ねましたが、「そんな名前の講座は世界で初めてだ」という返事でした。

守屋:痛みがサイエンスとなる分岐点となった出来事とは何だったでしょうか?
熊澤:「痛み」の研究の歴史は、ものすごく古いです。「痛い」というのは身近なことですから、哲学的にも興味がもたれていて、ギリシャ時代以前に既にありました。ところが本当にサイエンスとして踏み込めたのは、ごくごく最近で、1960年以降と言っていいでしょう。それまでは「痛み」が独立した感覚系かどうかということが議論されていました。 当時有力だったのは、どんな感覚受容器でも刺激を強くすれば痛いと感ずるという説です。例えば、大きな音を聞くと、痛みに感ずることがあります。これは鼓膜にある痛覚受容器が強い振動で興奮するから痛いのですが、聴覚の感覚受容器から痛みを出していると考える人もあったわけです。
エドワード・パール1)という人が、痛みにも他の感覚系と同じように独自のシステムがあるということを遮二無二に研究したわけです。痛みを伝える神経は末梢のとても細い線維なのです。それが脊髄のニューロンに結合して興奮を伝えるわけです。だからその信号の記録がとても難しくて神経生理が手を出しにくいところだったのですが、やっと辿り着いたのがパールです。こうして、ようやく痛み系のシステムとしての神経生理学の基本が出来上がった。これが「痛み学」の大きな進歩のひとつです。1960年から80年の中頃まで続きます。
1) エドワード・パール(Edward R. Perl);ポリモーダル侵害受容器の発見者。1969年にポリモーダル受容器について記載、1976年に侵害受容器の過敏化について論述している。熊澤先生は1970年にアメリカのパール博士のもとに研究留学されている。

守屋:痛覚に関わる受容器の存在や特性が明らかになって、本格的な痛みの研究が進んだわけですね。
熊澤:その通りです。痛覚受容器が興奮して、それが脳に伝わってどこが痛むのかを感ずる。独立した神経系であるということが明らかになったわけです。ところが末梢の痛覚受容器を介さない、つまり、末梢に傷がなくても、傷が治っていても痛いことがある。幻肢痛を考えればよく分かると思いますが、そういう痛みは正常の痛覚受容器を介して発生する痛みの機序では説明できない。それがその後の動物モデルを使った研究によって、そういう痛みが起こり得ること、そして思わぬ変化が起こっていることなどが分かりました。1980年代終わり頃からの研究ですね。
動物モデルは「神経損傷モデル」という簡単なものです。神経を2、3ヵ所縛ったり、ちょっと傷つけてみたり、切ってみたりするモデルですが、普通でない痛みが出てくる。末梢神経を傷つけると、変な痛みが出てくるんですね。hyperalgesia(痛覚増強)やallodynia(アロディニア)のような痛みです。神経を傷害すると何らかの機序が働いて中枢に変化が起こって可塑的に変わってしまう。そういう事実が報告され始めました。つまり、痛覚受容器を介した痛みと全く違う機序で痛みが起こっていることの証明がされ始めたわけです。
摩っただけで痛いとか。何か考えると痛いとか。天気が悪いと痛くなるとか。そういうような痛みは、詐病を疑われたり、心理的な要因でそうなったんじゃないかとか言われたり、心因性のようなことが非常に幅をきかせたわけです。わけのわからない痛み症状をそこに押し込んでいたんですよ。ところが、全く違った痛みの存在が証明されて、それは新しくできた病気であるという認識ができるようになった。それまでの痛みの概念が変わってしまったわけです。これが一番大きな発展だったと言えますね。
覚えておいていただきたいことは、生理的に備えられた警告信号としての痛み、つまり生理的な痛みは「症状」としての痛みですが、中枢で可塑的な変化が出来上がってしまって末梢の痛覚受容器を介さないでも起こる痛みもあること。そして、こういう痛みは身体のどこかに傷があることを知らせる症状ではなく、新しく出来上がった「病気」だということです。

守屋:我々が頭を痛めているのが根性痛と言われている症状なんですけれども、椎間板が神経根や後根神経節を圧迫することで下肢痛が起こるという捉え方は、どういう病態なのか、あるいはどういう痛みの分類なのか、ということで悩まされるわけなんです。
熊澤:そうなんですよね。椎間板が飛び出して神経根を圧迫しているという所見が取れれば、諸手を挙げて喜んで「これは圧迫痛だ」と言えますよね。ところが、圧迫の所見が無くても、治っても、それから他の方法で同じようなことを作っても、痛みに全然差がないという結果が出てくることがあるわけです。そういうことをどう考えようか、というのが出発点だったのですが、モデル動物の実験から分かってきた。そうなると実際にはどんな痛みが出ても不思議ではないわけです。
中枢神経の中で、痛み系は独立した系です。触覚も同様に独立した系です。触受容器への刺激によって脊髄のニューロンが興奮すれば、触れられたことを感じますよね。それが末梢神経に傷をつけたモデル動物では、本来は触覚を伝えるはずの神経が脊髄で痛覚を伝えるところに繋がってしまっていたという結果があります。正常では痛覚を脳に伝えていくニューロンだったものですから、そこにそういうコンタクトができると触刺激が痛みになってしまうわけです。
痛みは痛覚神経、触覚は触覚神経と、一応そういう風に分かれているのが常識的な理解で、分けて考えるのは当たり前なわけです。だから、触覚で痛みが出るのはけしからんことで、前にも言いましたが、詐病やら心因性やらを疑われていました。 神経系の混線という生物的な変化が可塑的に出来上がって、変な系と繋がっちゃったために、その別の系の性質が入ってくるという可能性が示唆されたわけです。興奮が神経全ての伝達の根源ですから、別の性質のニューロンと混線をすれば、痛覚刺激でない興奮も痛みとなりうる。だから、自律神経系と混線すれば、お天気によって痛みが起こることも理解できるようになりました。そういうことが分かってきてガラッと変わったんですよね。何でも起こりうるということです。
「そういうことが本当に起こるんだ」ということになれば、今までに理解できなかった痛みも「あり得る」という理解になり、新たな発見だった。臨床家はそういう患者の訴えがあったら、それをまともに受け止めるべきです。それが痛みというものだと。極端なことを言えば、患者が痛いと言えば痛いんだと。そう思わねばならないですね。

守屋:もしも椎間板か何かによって、神経根部が圧迫されたことで下肢痛が起こるのだとしたら、生理学的な神経の基本的な伝達の機序とは違いますよね。侵害された部位から遠心性に痛みが起きているというわけですから。これは神経因性の痛みだということになりますか?
熊澤:例えば末梢神経で傷を受けると、シュワン細胞という神経を取り囲む細胞が免疫系の細胞なので、それが刺激を受けてサイトカインとかグルタミン受容体などの新しい発現(expression)を起こします。そして中枢にも影響を及ぼすようになり、今までの脳の正常な機能の結びつきが歪んでくるのです。脳の可塑性が意外に簡単に起こるということなのです。それが臨床の一例一例で、どの系がどうなって、どの受容器が感作されているとか、そういうことは分からないのだけれども、そういう神経系の中での変化がそのまま残ってしまうようなものを可塑性と言うんですね。形を変えて神経系にそのまま大きな顔して残っちゃうんです。そういう可塑性が痛みを引き起こす可能性が分かってきた。そうなると、痛みの治療というものが全く違ってくるわけですね。
痛みを引き起こすというのは、生理学的な状態でいえば、例えば45度以上の熱とか、とにかく組織を侵害するか、あるいは傷害に至るような刺激をすることです。痛みの入口は痛覚受容器なのですが、ある神経系が傷ついたことによってタッチしただけでも呼応するように変わってしまうことがあるわけです。コネクションが実際に変わってしまえば、どんなことでも起こる可能性がありますからね。
そういうことで、この十数年大きく痛みの概念が変化したわけです。
守屋:そうすると、神経系にそういう可塑性が起こしてしまっていると、例えば侵害している椎間板ヘルニアを外科的に取り除いたとしても、この症状の変化は急激に変わったりするものではないということでしょうか?
熊澤:はい。可塑的変化を起こしてしまっている場合には、痛みを起こす源としての傷害はそこにありませんからね。
守屋:では、神経因性の痛みに移行する移行因子といいますか、例えば慢性痛という場合には時間的要因で分けていましたけれども、それとはまったく違う概念の痛みとしての「慢性痛症」が出てきたということでしょうか?
熊澤:そうです。「慢性痛症」という用語ですが、これは私が作りました。
守屋:この「慢性痛」と「慢性痛症」という言い方は、混同してしまうんですけども…。
熊澤:まずいですよね。「慢性痛症」なんていう言葉を作ったのはよくないかもしれませんが、通常使われている「慢性痛」は、痛みが起こり出してからの時間的な要素だけで慢性痛と言っています。ところが、その中には、急性痛が長引いているものと、可塑的変化で変わったようなものとがある。痛みの発生機序の違うものが混在して表現されているわけです。発生機序が違うということは治療法も全く違うわけですから分ける必要がある。それで「慢性痛症」と表現することにしました。
実際の臨床現場では、こういう概念が完全に行き渡っていません。痛みとくれば「どこかに傷害があるだろう」と考えるわけです。傷害があれば、「それを感じる痛覚受容器が働いている」と思って、やたらに神経ブロックをしたり、オピオイドも急性痛や癌などの痛みに効きやすいので使ったりする。ところが効かないわけです。長期間にわたって効果のない治療をやって医療費のものすごい無駄使いしているわけですよ。全然違った原因で起こる痛みを、見当外れなところで対応しているのです。 今まで医者が持っていたテクニックは、例えば急性痛は効くような消炎鎮痛剤とかオピオイドですね。そういうものを使って効かない症状が出てきたら、医者はもう立ち往生なんですね。で、手術でそういう部分を切り取っても、「痛みがとれない、どうしよう」となるわけです。
そこで、頑張らなきゃいかんのはコメディカルですよ。PTとかOTとか、鍼を使う人もそうだし、それから患者に第一番に接する看護師さんですね。この人たちの理解がそこまで行っていると、「こういう痛みもあり得る」ということを患者に言ってあげる。それだけで増幅された痛みが軽減する。「どこへ行っても分からん」、「どうしようもない」、「生きていてもしょうがない」と、自殺まで考えるような痛みを医療はポーンと投げ出しちゃっていたのです。
痛いと、それから避けようとする防御機構が備わっています。その一つに、痛みを抑える「ネガティブ・フィードバック機構」としての脳内鎮痛系があります。強い痛みがくると、エンドルフィンのようなものが産生されて抑制を働かせる。こういう内因性の鎮痛系を利用して、生体を刺激する方法で痛みを取ることができます。1970年代80年代に明らかになってきたことです。慢性痛症というのは、抑制系が上手く働かないことが原因の一つであると考える人もいます。
もう一つの防御機構としては、前にも言いましたが、防御姿勢をとることがあげられます。慢性痛症においても、痛みがあれば人間は必ずそれを防御する姿勢をとる。慢性痛症の場合は末梢に原因がない痛みですが、痛みを感じる部位は存在していて、それをプロテクトする。変な姿勢を何週間も続けていれば、健常な人でも痛みが起こりますよね。つまり、防御姿勢をとり続けるがために末梢組織に2次的な障害を起こして急性痛が発生してしまう。こういう経過で慢性痛症の痛みと2次的に発生した急性痛とが混在しているわけです。これらを鑑別して治療にあたることが重要ですね。
筋肉系を使って保護、というか防御する。筋性防御と言いますが、例えば、腹膜炎では腹壁筋の緊張が反射的に亢進します。それは、痛いところが動かないように、傷害が大きくならないように、筋肉が動いて防御するわけです。 神経系は最初から生体に備わっているわけではなくて、進化して出来上がるわけです。神経系が出来上がる前に先住者として防御系を務めているのは、どれが異物であるかということを認識し、異物を取り巻いたりして取り除く免疫系ですね。炎症は免疫・炎症系という液性の情報伝達系ですが、液性の伝達では遅いということで、電気信号として送るシステム、つまり神経系が出来上がりました。
生体の調節は、ホメオスタシス(恒常性)で保たれています。例えば、血圧であればこの辺りとか、体温は37度とか、一番その動物が過ごしやすいというか、生きていくために必要な温度とか、そういうものを出来るだけ一定になるように、飛び出したら下げるとか、足らなかったら上げるというようにするのがホメオスタシスです。ホメオスタシスの目的で洗練されてきた神経系は、痛みが働くとその上から「ちょっと休め」というわけで、これを止めちゃうんです。痛みは強引に割り込んで「生命の緊急事態だから調節どころではない」ってわけです。自律神経系の正常な調節を無視してしまいます。火事が起こると水をぶっかけるようなもので、普通のときに水をかけたら怒られますよね。そういうようなことをやるのは緊急事態だから許されるわけで、その引き金は、緊急アラームを鳴らしている痛みなんです。
神経系の進化とともに脳の進化も脊髄や脳幹とか大脳皮質に進んで行く。そして全ての情報が脳へ集まるようになったのです。痛み反射は、生物の基本的な生体防御系として、神経系が進化する極初期から備わっています。シンプルな構造であった時から備わっていたわけですから、進化して脳の役割分担が分化していっても様々なところに関わり合っています。先ほど話しましたように、痛みの情報が一旦入ったら、それは緊急事態です。救急対応の全てを使って、その時点で身体の中で起こっている救急処置を優先して出来るような態勢をとる。その救急処置は自律神経系のバランスも無視してしまう。そして防御姿勢をとる。痛みが鎮火できないと、自律神経系にも異常が残るし、また、防御姿勢そのものが、さらに痛みを作る。防御には必ずそういう病的な反射が伴うのです。だから痛みは早く取り除かなければいけないのです。
先ほどの椎間板だと、もちろんヘルニアで圧迫があれば、そこが圧迫されているってことは異常があるわけですから、それで痛み信号になります。だから、それを取れば治る痛みはある。しかし、全てがそうではない。神経根の圧迫だけではなくて、椎間板の中にある髄核から出る物質が痛みを増幅させるということも分かっています。必ずしも圧迫が痛みを起こしているわけではない、ということがいろいろと分かってきたのです。そういう中で、防御によって起こる痛みにも対処する必要があるし、鑑別する必要があります。
そういう現象に対しては医者には手が出ないことが多いですよね。そこにコメディカルの働く場所がある。慢性痛症の痛みでも、その患者さんはそこが痛いと思っていたのが、実はそれは防御姿勢が起こした痛みで、2次的に発生した痛み、つまり急性痛であることがあります。これは、そこにある組織が障害を受けたことによって出た痛みであって、普通の生理的な痛みです。まずはその痛みに対処することです。そこから慢性痛症の治療が始まるわけです。その2次的な痛み、そういう痛みを取り除くだけで、かなりの患者さんが痛みから逃れられる。
防御姿勢などによって増幅された痛みを取り除いてから、次に、慢性痛症の痛みを真っ当に慢性痛症として治療してもらう。慢性痛症の治療にあたっては、神経系の混線が問題なのですからあらゆることとの繋がりを考えねばなりません。意識のレベル、記憶のレベル、その人の人生の歴史から何から全てが絡み合って歪んで、可塑的に変容してしまって、どこかに痛みが発生するわけです。
それをいろんなフィールドからみて、それに対処する。正常な働き(habilitus)に戻す(re)ことをリハビリテーション(rehabilitation)と言います。可塑的に変化してしまったものを再びハビリテートする。そういう努力がいるのですが、そのためには2次的に起こった痛みが先ず取り除かれてからリハビリがスタートするのであって、それを取り除かないうちは手が付かないはずなんですけれども、従来の医療はその原則的な流れを無視してやってきた。それで患者としては「いくら治療しても少しも変らない」「他にいい所があるかもしれない」とドクターショッピングする。だから、そこの時点できちんと鑑別してもらえば、痛みそのものは治せない場合があるのですが、そういう痛みの成り立ちが分かれば、これは患者にとってはすごく安心なんですね。ある程度の痛みの軽減を作ってあげて、残った痛みを「それならばそれで付き合っていこうか」というレベルまで持って行くのが現在の治療法です。まだ慢性痛症に特効する薬は開発されていませんから、2次的に起こった痛みを取り除いて、患者さんの活動性を上げることが痛みの軽減に繋がっていくわけです。

守屋:神経が病気になった痛みでは末梢の受容器に圧痛があるとか、末梢の受容器の感作は起こるのでしょうか?
熊澤:慢性痛症の痛みは末梢の痛覚受容器を介さずに起こります。結果的に末梢にも影響があるでしょうが、問題となるのは脊髄や脳など中枢に起こった変化です。最近明らかになってきたことは脊髄のグリアに関することです。脳と同じように脊髄内には、ニューロンの他にグリア、ミクログリアとかアストロサイトとかですね、それらがいっぱい詰まっています。グリアは、従来、建築の砂利かセメントのように神経を支えるための支持細胞と考えられていたわけですが、元をただせば免疫系の細胞で、サイトカインとか、いろんな物質を作りだす。物質を作り出すだけでなくて、脊髄の中でポジティブフィードバックするような、燃え上がった炎を延々と燃え上がらせ続けるような機構を作り上げてしまうのです。そして、分泌されたサイトカインとか神経栄養因子とか、そういうものが中枢の中で広がっていってしまう。
ニューロンとニューロンとがシナプス伝達をして情報を伝えていく、とまぁ、こういうふうに固めていくのが昔の神経生理学ですよね。ところが、それだけではない違う系で燃え上がる状態が作られてしまっている。神経性の情報から液性の情報にスウィッチしてその情報が一挙に拡がって行く。そうなったらもう次々に拡がって行く。脊髄以上の中枢ではこういうことが起こり得るわけで、それがまた可塑的に変容して固定してしまう。
こういう状態を考えれば、ありとあらゆる痛みがとにかく説明はできるんだけれども、患者さんが実際にどのようになっているのかは分かりません。とにかく、動物モデルで実証されているわけですから、起こり得るということですね。
守屋:神経の病気としての痛みを持っている一人の患者さんに、いわゆる侵害受容性の他の痛みが混在していることもあるのですね。
熊澤:さきほどお話ししたような防御姿勢をとったりしてね。まあ、それだけではないですが、とにかく混在っていうことは確実にありますね。だから、一番初めにやるべきことは、それら混在した痛みの鑑別です。やっぱり痛みセンターとか、そういう所で、どれだけがそういった末梢の感覚神経、痛覚神経の興奮で起こったものなのか、どれだけがそうではないのか、それを鑑別するのが一番必要なことなんです。それは薬物的なドラッグ・チャレンジとかを使う。例えば、この薬物で反応したら炎症性だとか、モルヒネで消えたら末梢性の痛みだとか、モルヒネでも効かないとか。そういう結果によって治療法が全く違ってくる。まず正しく鑑別することで、痛みの何十パーセントかは解決できるわけです。

守屋:慢性痛症について分かってきたのは1980年代の終わり頃だとおしゃいました。そうなると「痛み学」は本当に新しい領域の学問だと言えると思うのですが、今第一線の医療の現場で活躍されているお医者さんは、どちらかというとその勉強を、乱暴に言えば抜いて診療を行っているというような言い方が出来るんじゃないかなと思えてきます。今まで、この新しい概念の痛みを勉強をしなかった人たちのために、卒後教育みたいな形でカバーしているというようなことは行われているんでしょうか?
熊澤:行なわれているという話はあまり聞きませんね。医療従事者や一般の方たちに、とにかく知っていただきたい、という気持ちで、名古屋大学停年後から啓発活動を初めて、愛知医大に痛み学寄附講座を立ち上げて、さらに頑張って啓発活動をやってきたわけです。10年前からすればかなり広まったかと思いますが、まだまだですね。
今、医療の中で医師が一番遅れているではないかなと思うんですけどね。というのは、痛みっていうのは、患者さんは医師にはあまり正直に訴えないことが多いですね。日本の医療環境では、医師が患者さんの話をじっくりと聞くことは難しいですしね。だから、身近に接してくれる看護師などのコメディカルの人たちに結構本当のことを訴えるわけです。それが患者心理じゃないでしょうか。医療者側は、訴えられたらそれをまず受け止めることから始めなければいけないのです。
痛みの訴えが最も多いのは整形外科かと思いまして、10数年前から、整形外科関係の学会で講演する時には、第一声を「整形外科は痛みを全然知らん」と、そう言うことから始めることにしているんですよ。最近になってようやく整形外科にも真面目に考えようとする人たちがでてきましたから、もう5、6年すればちょっとは分かってくるでしょうけど、いかんですね。

守屋:テレビや雑誌に、臨床の現場の先生が出てきて腰痛の話しがよく出るんですが、腰痛の原因で分かってるのは15パーセントだと。後の85パーセントは分かりません、というような言い方をされる。それで国民の目線から見れば、一方では分からない痛みがある、という印象が持たれるのではないかと・・・。
熊澤:それが痛みなのだとしか言えませんし、やはり、それはそれで正しいんですよ。そういう痛みがあるということを認識すること、それが本当の痛みですからね。国際疼痛学会の痛みの定義では、傷がある痛みと、傷が治ってから患者が「痛い」と訴えるのと、「その両方ともが痛みだ」とはっきり言いきっているんです。だから、それは本来ならば医療に携わる人の全てが、そのことを認識しておくべきなんです。
守屋:でも、整形の先生方は、腰痛にしても分からない85パーセントっていうのは、どちらかというと心理社会的な要因として位置づけをしてしまう。
熊澤:そうです。心理面での解析は重要ですが、安易にそこに持っていってしまう。
守屋:確かに心理面もあるでしょうけど、もっと身体機能というものを捉えて診ていかないと、どういう病態の痛みかということが本当には分からないんじゃないかと思うのですが。
熊澤:そうです。それが一番大切なところです。だけど、今のお医者さんは忙しいからね。それを患者さんから探ろうというのは、たとえ彼らがやるって言ってもやれないだろうね。だから、これからの痛みはそういったコメディカルの人の能力を活用して行くべきなんです。
守屋:それで先生はコメディカルの分野の研究会に力をいれていらっしゃるんですね。
熊澤:そうです。

守屋:ちょっと話を戻しますけれども、痛みが世界的にも注目されてきたというのには、アメリカが政治主導で行った「痛みの10年」があったように思うのです。先生のお書きになったものをみますと、向こうの中で医療行政なり、痛み教育にしろ、あるいは国民の啓蒙にしろ、すごく大きな変革を起こしたと。そして、それがヨーロッパにまで波及して、いろんな大きなムーブメントが起きた、ということを知ることが出来ます。一方、日本はどうかというと我々には全く変化が見えない。こういう温度差というのは何故なんでしょうか?
熊澤:何故かと言うと、慢性痛症の患者さんはいろんな立場の専門家がさまざまな角度から診ないと分からないですね。そういう医療をするには日本では壁が多すぎるんですね。診療科の間でも、コメディカルの間でも、縦割りの壁が多すぎて、他の専門家の意見をポンポンと切り捨てて行っている。本来のあるべき素地が欠けていますね。まあ、実際にはそういうことがアメリカでも、ヨーロッパでも、あるにはあるんですが、日本ほどバラバラではない。
それから、この「痛みの10年」はですね、初めにそれをやっていると聞いて、私も「すごいなあ」「アメリカが作り上げてくれるだろうな」と思いました。「痛みの10年」の議案が出たのが2000年で、議定書にサインしたのがクリントン大統領です。大統領を辞める年でしたね。その後、大統領はブッシュに変わりましたから、そういう事情もあってと思いますが、期待したほどの効果は出ていないですね、残念ながら。
しかし、ヨーロッパが頑張って活動し始めまして、市民やマスコミを巻き込んだ活動などなかなか上手くやっているので、世界的にはまぁ成功してきていますけれども、そのいずれと比べても日本の変化は格段に悪いですね。
守屋:「脳の10年」の時の影響っていうのは、すごかったと思うんですね。
熊澤:そうなんです。
守屋:テレビのバラエティーにまで脳の話が登場して、難しい脳の話がお茶の間のレベルにまでなって、すごい影響があったなと思うんです。「痛み」は今年1年のキャンペーンが残っていますけど、それが終わった後に脳のブームのような痛みへの関心が沸き起こると思われるでしょうか?
熊澤:いやぁ、どうでしょうか。「脳の10年」の非常に大きなインパクトは、日本の脳研究者を刺激して、研究レベルをすばらしく高めて、世界中へ論文を発信しました。確かに日本には優秀な人が多くて、成功を重ねていったわけですが、「脳」と「痛み」という研究フィールドの違いかもしれませんね。脳研究は抽象的、というか、メカニズムだけでも通ります。ところが、痛みというのはそうはいかないですよね。治療ということがついてこないといけない。「なんだ、偉そうなことだけ言って」というようになりかねない。それから、国家の研究費が脳研究へ全部行っちゃって、痛みの研究には全然回ってこなかったですよ。

守屋:痛みの研究者が、日本では絶対的に不足しているということではないんですか?
熊澤:それもあります。日本の基礎医学の分野では、世界レベルの痛みの研究者が結構います。脳研究とは全く比較にならない程の乏しい研究費の中で、なかなかすばらしい成果を出してきた。でも、お金がないから人が集まってこない。やっぱり研究費が潤沢なところへ人が集まりますよね。結局は、我々痛みの研究者の力が弱かったってこともあるんでしょうね。
「痛みの10年」は、私が「痛み学」に首を突っ込んでからの話です。さっき申し上げたような理由で、コメディカルの働きが非常に重要で、日本の痛み医療を変えていくパワーになるだろうと、私はそう見ていましたから、コメディカルの育成にも力を入れました。 こういう活動をする前、私は痛覚受容器であるポリモーダル受容器を研究していました。それで本も書いたし、定年で辞める時までは一応のことをやった。これからは海外か、山へでも行って遊んでやろうと思っていたわけです。ところがこういうものに首を突っ込んで、「学際的痛みセンター」を立ち上げるべく、「痛み学寄附講座」を作ったり、頑張りました。まぁ、それで身体を壊してしまったかもしれませんけど。

斎藤:痛みの研究者も力不足だったっておっしゃられましたけれども、国の予算の付け方というのも、現場からみるとやっぱり不満はあるのでしょうか?
熊澤:ものすごくあります。
斎藤:現場の声とすると、国の予算のあり方というのはどこに一番問題があるんですかね?
熊澤:プロポーザルに対する評価が、本当の評価になっていないですね。どこかのボスにポーンとお金が行っちゃうんですね。そこから水が流れる如く、下に流れていく。つまり、ある特定の研究だけが非常に潤うわけです。これも一種の縦割りですね。

斎藤:私ども(週刊 科学新聞)で科研費(文部科学省 科学研究費補助金)をはじめ、国の学術関連予算を随時紹介しているんですけど、特に科研費の採択リストの発表時期になると、私も編集ではなかったのですが10数年ほど前までは関心を持って、それらの情報に目を通していました。当時、科研費の場合は3人の審査員がいて、それぞれ5点満点で点数をつけ、3人で合計11点取らないと通らないということだったんですね。専門外の審査員が3人で点数をつけても、なかなか取れないですよね11点なんて。
熊澤:だから、やっぱりその研究やその人を良く知ってる人のほうに・・・。
斎藤:多少なりとも関わりのある人のほうに行っちゃいますよね。
熊澤:私も審査員をやってみて分かったけれども、そういう審査でずっとやってきたっていうのが一番いかんですね。それともうひとつは、その後の仕事の評価ができてない。私はアメリカにいた時に、ちょっとおもしろいことを見つけて、それを研究室の人がグラントにプロポーズしたんですよ。そうやってグラントに申請をするとですね、レフェリーが私の実験室に来て、熱心に質問をしていくんですよ。で、私なんか外国からきた人でしょ。それでも熱心に聞いて行くんですね。そういうレフェリーの評価、それから業績の評価、この2つをきちんとやらなきゃ。
痛みの研究でちょっと大きな予算をとったのですが、普通の科研費を含めてそれが最初で最後でしたね。定年のちょっと前にプロポーズしたのが当たって、「当たって」なんて博打みたいに言ったらいけないですけどね。「これで痛みの研究にも流れがくる」と思ったけど、それひとつで、後はダメになっちゃったね。
斎藤:今、グローバルCOEとかもっと大きな予算がありますよね。
熊澤:そうです。だから確かに予算は増えているんですよね。しかし、予算の入るところがある程度決まってるでしょ、やっぱり。
斎藤:旧帝大系のところなんかに行くと、何々先生の何々費が通るとか、誰々が今度は何々費をもらうらしいよとか、申請する前からある程度わかってましたね。
熊澤:確かに優秀でいい実験だけど、なんであそこばっかり入るんだと思うこともありますね。やっぱりフェアな評価っていうのに日本人はあんまり慣れていないのではないでしょうか。普通の日常のディスカッションでも、とことんやるってことをしませんからね。例えば、イタリア。あそこはほんとにコネクションの国だから、グラントの審査もまずかったわけです。だから外国人のレフェリーのグループを作って評価してもらうことにしたんですよね。私もそれを引き受けたことがあるんだけど、かなり詳細で面倒な仕事だった。アメリカのある大学の教授選考委員会から審査を頼まれたこともあります。日本はフェアな評価システムを作ることにもっと努力してもらいたいですね。

斎藤:例えば「ネイチャー・メディスン」のようなところとかでは、「痛み」を特別な捉え方はしてないんですか?
熊澤:「ネイチャー・ニューロサイエンス」は確かエディトリアルボードに痛み研究者が入っていますし、痛みに関する論文がネイチャーの雑誌に掲載されるとコラムの方に取り上げられることが多いですね。痛みは薬の開発や治療に直結していますから、話題性が高いのでしょう。

守屋:また話題を変えますが、「痛みの10年」と並行してWHOの「運動器の10年宣言」がありました。これは我々の一般のレベルには浸透したと思うんです。なにしろ私のところのような小さな市町村でも、メタボ・シンドロームとかロコモ・シンドロームとか持ち出して運動教室なんかを開いて、さかんに運動することを勧めている。それは骨と関節を丈夫にするために運動をやりましょう、と言うことです。でも、痛みからすると、骨と関節というのはちょっとズレたように思うわけです。ところが、今年になって国際疼痛学会が「筋骨格痛のグローバル・イヤー」というのを打ち出した。私はここで、やっと軌道が修正されて本来の問題点に焦点があたったな、というふうに期待をしているんですが、この国際疼痛学会が打ち出した「筋骨格痛」という問題は、この痛みの問題にどう影響してくると思われるでしょうか?
熊澤:国際疼痛学会の委員を辞めてしまっているので、その狙いがはっきりとは分かりませんが、恐らく、痛みの研究が神経因性疼痛に偏ってしまったことにあるのではないでしょうか。筋骨格系、特に筋の痛みについては研究があまり進んでいなくて分からないことが多い。けれども患者は最も多いわけです。
WHOの「運動器の10年宣言」の元の英語は「Decade of Bone and Joint」なんですね。直訳すれば「骨と関節の10年」なのですが、骨と関節だけでなく、筋や神経を含めた「運動器」と訳した日本整形外科学会に敬意を表しますね。
痛みとの結びつきを考えて、私は「10年」の運動の二つを一緒にやって行ったらいいということを提案したんです。それより少し前から、整形外科の方々に痛みを勉強してくださいとも言っていたのですけどね。その頃、日本疼痛学会には、一人も整形外科の医師がいなかったんですよ。だから、福島の菊地教授とか、札幌の山下教授とか、高知の山本教授とか、そういう人をたくさん評議員に推薦しました。若い人もたくさん会員に推薦しました。整形外科とか、臨床的に痛みに現実的に携わっている人が係わらなきゃいけない。
運動器の問題は、運動志向というのが国民の中で普及してきたという、そういうバックグラウンドが大きいと思うのですが、これは痛みと整形というか、運動器のキャンペーンと密接なんです。

守屋:もっといろいろお聞きしたいところですが、お約束の時間もオーバーしてしまいました。お忙しいところ本当にありがとうございました。我々の学会にも多大なご協力をいただき、実行委員会を代表してお礼を申し上げます。

追伸:熊澤 孝朗先生は、平成22年7月26日(月)に御逝去されました。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。